玉島剛氏(中小企業診断士)

会社が「家」だった時代

日本では血縁者でない者に対しても、若い男女なら「兄ちゃん・お兄さん」「姉ちゃん・お姉さん」と呼び、中年を「おじさん」や「お父さん」、「おばさん」や「お母さん」と呼ぶ。高齢者になれば「おじいさん」「おばあさん」と呼ぶ。あたかも、家族の一員のように相手の役割(兄・姉、父・母や叔父・叔母、祖父・祖母)で呼ぶのは、この国独特の文化のように思う。社内であれば、上司に対しては「社長」「部長」「課長」と役職で、部下は「~くん」「~ちゃん(さん)」と名前で呼ぶのは、おそらくこのルール(文法)に従っているのだろう。

まだ、元号が「昭和」と呼ばれていたころは、会社は大きな「家」であり、従業員は「家族」、上司と部下は「親子」の関係のように見られていた。その思いが、このような文法を生んだのかもしれない。時代が「平成」になり、会社と従業員との関係は大きく変わった。

昭和を描いた「サザエさん」の世界も「ちびまる子ちゃん」の世界もこのルールで呼び合うが、平成のアニメ「クレヨンしんちゃん」では、父母を「ひろし」「みさえ」と呼ぶ。あたかも、米国の会社ではボスをファーストネームで呼ぶという習慣とよく似ている。会社も家庭も、グローバル・スタンダードに従うようになってきたようだ。

さて、昭和という時代、会社はそこで働く者たちのものであり、それを形式上の持ち主である株主が静かに見守っていたようであった。したがって、そのころの会社は、従業員とその親族を死ぬまで面倒見ていたとも考えられそうだ。これこそが、「日本的経営」の三種の神器「終身雇用・年功序列・企業内組合」の実現であり、家族的関係であったひとつの証拠であろう。本家・皇室は126代を数えてもなお三種の神器を継承しているが、日本的経営は、早々とこれらを海底に沈めてしまったようだ。時代が平成・令和になり、会社はこの家族関係を急速に解消してしまったように思われる。

労働力の流動化が加速

厚生労働省の調査によると「正規雇用と非正規雇用労働者の推移」は、平成6年以降、現在(平成30年)まで緩やかに増加している。ちなみに、データで確認ができる昭和59年の非正規雇用労働者の割合は16.3%、34年後の平成30年には37.9%となっている。なお、ここでいう「非正規雇用労働者」とは、「パート」「アルバイト」「労働者派遣事業所の派遣社員」「契約社員」「嘱託」「その他」である。また、「正規雇用労働者」とは、勤め先での呼称が「正規の職員・従業員」である者、と定義されている。非正規雇用労働者を詳細に見ると、パート、アルバイトが全体のそれぞれ48.8%、21.5%とほぼ7割を占める。こうした数値を見るまでもなく、実感として、いわゆる「非正規」の労働者が増えていると考えられる。家族関係が壊れ、同じ建物の中で他人同士が競い合って仕事をするというのが、今の会社の姿であるようだ。

また、多くの大企業は、業務の標準化を急速に進め(驚くことに、それが実現できたのは従業員の不断の協力と努力によるのだが)、属人的な業務、個人の力量が求められる業務は少なく、人材の交換やシフトが容易になっている。その結果として、人件費を「固定費」から「変動費」にシフトさせようと考えているようである。働く者にとっては、仕事(すなわち賃金)が不安定になるというリスクにつながるが、一方で会社にとっては仕事の量(売上高の増減)に応じて人件費が連動する合理的な判断と言えるだろう。今後はさらに、正規労働者の賃金もアウトプットに応じて増減するようになる(すでに多くの会社が「成果主義」を採用している)ことだろう。

その結果、大企業は年々増加してきた人件費の負担を軽くして、緩やかに、かつ、長期間にわたって業績を回復させてきた。割を食った従業員は、その間、ほとんど賃金の上昇がない、という状況に置かれている。従業員からすれば、ただ1社に取引を依存している以上、仕事の値付けは会社の一存で決まるというのは当然の結果だと思う。

人材を採用する時代から労働力を販売する時代に

従業員も自衛のためか、最初はこっそりと余った労働力をネットで切り売りする「副業」を始めるようになった。さらに、最近では会社も副業(どころか、複業も)を正式に認めるようになってきた。とはいえ、就業時間中に営業するというわけにもいかないので、多くの従業員は、休日や夜間にインターネットなどを活用して、取引先を探すことになる。

こうした労働力をネットで仲介するのが、「ランサーズ」や「クラウドワークス」というようなマッチングサイトではなかろうか。これらのサイトでは、あらゆる労働力が売りに出されている。マーケッター、エンジニア、マネージャー、クリエイター、デザイナーなどなど、あたかも、ネット上のモールのようである。労働者が「従業員」という身分から離れて、労働力を自ら「売る」ようになったというわけだ。

ごく普通の発想で考えてもわかることだが、同じようなものを買うのなら、買い手は「安い」ものを選ぶだろう。ましてや、ネットであれば価格の比較は極めて容易である。誰かに仕事の依頼をしようとすれば、安いものを探し、その中から「信用していい」と思われる者に仕事を発注する。「売り手」の経験はなくとも、「買い手」としての経験は誰にでもある。ありふれたもの、どこででも手に入るものを、わざわざ高く買うということはない。高くても買う、というのは、商品そのものに希少価値があるか、あるいは、売り方が上手いか、そのいずれかである。

売れる労働力とは

では、多くの学生が憧れる「グローバル企業」の経営者らは、どのような人を求めているのか。株式会社ファーストリテイリング・代表取締役会長兼社長 柳井正氏は、グローバル人材として「世界に通用する人材を」という。共通語である英語を使いこなし、どのような文化も受け入れ、世界中のどこでも働ける者を求める、と。また、IT企業の覇者、楽天株式会社・代表取締役会長兼社長 三木谷浩史氏もまた、英語にはこだわりがあるようだ。彼らは、世界で活躍できる人材を求める、日本人には限定はしない、とも。

少し古い記事になるが、文部科学省は、平成23年に「産学官によるグローバル人材の育成のための戦略」を発表している。国は、産業界の需要に応えるべく、大学を巻き込んで、世界中どこでも働ける人を育てる、という基本方針をもっているようだ。こうした人材を、グローバル企業は積極的に「買う」というわけだ。

だが、少し考えてみるとわかることだが、このような人材は、要するに「どこでも使える労働力」ということになる。言い換えると「いつでも取替が利く」ことが求められているわけである。確かに「高く買う」とは言っていないようである。

労働者はどうあるべきか

労働者は大戦後、経営者らと闘ってようやくその地位を獲得した。労働基準法や労働組合などは、そもそも差別化ができず、取替が利き、かつ、1社に依存する弱い立場である労働者を守るための制度であった。だが今やそれらは、「日本的経営・三種の神器」とともに深い海底にある。件の経営者らはそれを引き揚げるつもりはないし、労働者らもそのようなものが必要だとは考えていないようだ。必要な時に必要なだけの労働力を確保する、これが基本的な労働力調達の考え方にさらになっていくことだろう。

商品を売る側、つまり労働者は「どうすれば高く売れるか」を考えて、取引をしなくてはならない時代が到来したと言えるだろう。労働力が、Amazonやメルカリのようにネットで売り買いされる時代、どうすれば高く売れるか。

ヒントはいくらでも見つかりそうだ。ほんの少し前、これまで安価で手に入った「マスク」や「ティッシュペーパー・トイレットペーパー」が、法外な価格で取引されたことがあった。高機能だから、高付加価値だから、高額で売れたのではない、ということは誰にでもわかると思う。要するに「希少価値」が価格を決めるのだ。多くの会社が必要とし、かつ、希少なものは何か。ただし、こればかりはそれぞれの労働者が自分で考えるしかないと思う。他人と同じことしては、安売りするしか方法がないのだから。

プロフィール

1960年 神戸市生まれ
1981年 神戸市立工業高等専門学校・電気工学科卒業
1981~2012年 シャープ株式会社勤務
2004年 中小企業診断士登録
その他の保有資格
情報処理技術者(情報システム監査・システムアナリスト・プロジェクトマネージャー、情報セキュリティアドミニストレータ、ほか)、1級販売士、中国語検定3級